配点一覧 知技1(2×9=18)/知技2(2×10=20)/知技3(2×11=22)=60点
考1(2×7=14)/考2(2×7=14)/考3(2×6=12)=40点 総小問数 50問(全問 記号選択・各2点)
知技1ルネサンスと宗教改革、大航海時代2点×9=18点
| (1) | ウ | 「再生」を意味するルネサンス。アの宗教改革は16世紀の教会批判の運動で文化の動きではない。イの産業革命は18世紀のイギリス、エの啓蒙思想は17〜18世紀のもので、いずれも時期が合わない。 |
| (2) | ア | 「モナ=リザ」「最後の晩餐」はレオナルド・ダ・ヴィンチの作品。イのミケランジェロは「ダビデ像」など彫刻が中心、ウのボッティチェリは「春」「ビーナスの誕生」、エのラファエロは「聖母子像」で有名。 |
| (3) | イ | 方位を知る道具は羅針盤で、これにより陸地の見えない大洋の航海が可能になった。アの火薬も三大改良の一つだが戦い方を変えたもの、ウの活版印刷術は書物の普及を進めたもので、どちらも方位とは無関係。エの望遠鏡は17世紀の発明。 |
| (4) | イ | 1517年に「95か条の意見書」を発表したのがルター。アのカルバンはその後スイスで改革を進めた人物。ウのロヨラとエのザビエルは、改革に対抗する側のイエズス会の創設者なので立場が逆である。 |
| (5) | ア | 免罪符(贖宥状)の販売がルターの批判のきっかけ。イの勘合は日明貿易の合い札、ウの朱印状は江戸初期の海外渡航許可証、エの地券は明治の地租改正で交付された証書で、いずれも時代も用途も異なる。 |
| (6) | イ | 「抗議する者」の意味でプロテスタント。アのカトリックは改革される側のローマ教会の側。ウのイスラム教徒は別の宗教、エの正教会は11世紀にすでに分かれた東方の教会で、宗教改革とは関係がない。 |
| (7) | ウ | ロヨラやザビエルが創設したイエズス会が、カトリックの立て直しと海外布教を担った。アの十字軍は11〜13世紀の遠征、イのハンザ同盟は北ドイツの都市同盟、エの東インド会社は17世紀の貿易会社で、いずれも目的が異なる。 |
| (8) | イ | 1492年に西インド諸島に到達したのがコロンブス。アのマゼランは1519年出発で世界一周、ウのバスコ・ダ・ガマは1498年にアフリカ回りでインド到達、エのカブラルはブラジルに到達した人物で、年と到達地が合わない。 |
| (9) | ウ | 世界一周を成しとげたのはマゼランの船隊(本人は途中のフィリピンで死亡)。アのコロンブスは大西洋を横断しただけ、イのバスコ・ダ・ガマはインド航路の開拓、エのザビエルは宣教師で航海者ではない。 |
知技2ヨーロッパ人の来航と全国統一2点×10=20点
| (1) | ア | 鉄砲が伝えられたのは鹿児島県の種子島。イの屋久島は同じ鹿児島県だが鉄砲伝来の地ではない。ウの対馬とエの壱岐は朝鮮半島に近い長崎県の島で、倭寇や朝鮮との交流の舞台である。 |
| (2) | イ | 1549年に鹿児島に上陸したイエズス会宣教師ザビエル。アのルターとウのカルバンはプロテスタント側で日本には来ていない。エのロヨラはイエズス会の創設者だが日本には来航していない。 |
| (3) | エ | 1560年、少数の兵で今川義元を破ったのが桶狭間の戦い。アの長篠の戦いは1575年で相手は武田氏。イの関ヶ原の戦いは1600年で徳川家康、ウの壇ノ浦の戦いは1185年の源平の戦いで時代が違う。 |
| (4) | ウ | 1575年、鉄砲隊を活用して武田勝頼の騎馬隊を破ったのが長篠の戦い。アの桶狭間は今川氏が相手。イの川中島の戦いは武田信玄と上杉謙信の戦いで信長は関係しない。エの山崎の戦いは秀吉が明智光秀を破った戦い。 |
| (5) | イ | 琵琶湖のほとり(滋賀県)に築かれたのが安土城。アの大阪城は豊臣秀吉、エの江戸城は徳川氏の城で築いた人物が違う。ウの姫路城は兵庫県にあり、琵琶湖のほとりではない。 |
| (6) | ア | 座を廃止し市の税を免除したのが楽市・楽座。イの刀狩とウの太閤検地は秀吉の政策で、商工業の振興が目的ではない。エの参勤交代は江戸幕府が大名に課した制度で時代が異なる。 |
| (7) | ウ | わび茶を大成したのは堺の商人千利休。アの雪舟は室町時代に水墨画を大成した画僧、イの世阿弥は室町時代に能を大成した人物で時代が異なる。エの狩野永徳は同じ安土桃山時代だが、ふすま絵などの障壁画の画家である。 |
| (8) | ア | 秀吉が石山本願寺の跡地に築き、全国支配の拠点としたのが大阪城。イの二条城は徳川家康が京都に築いた城、ウの名古屋城も江戸時代初めに徳川氏が築いた城、エの江戸城は徳川氏の本拠地で、いずれも秀吉の城ではない。 |
| (9) | エ | 1582年、京都の本能寺で明智光秀にそむかれ信長が自害した事件が本能寺の変。アの壇ノ浦の戦いは1185年の源平の戦い、イの島原・天草一揆は1637年、ウの大坂の役は1614〜15年で、いずれも時代もできごとも異なる。 |
| (10) | ウ | 文禄の役・慶長の役で2度大軍を送り、戦場となったのは朝鮮。アの明は秀吉が最終的にねらった国だが、戦場となった国ではない。イの琉球は島津氏が17世紀に侵攻、エの清は17世紀に成立した王朝で時期が合わない。 |
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考2刀狩と太閤検地(史料の読み取り)2点×7=14点
| (1) | ウ | 百姓の武具所持を禁じた資料3は刀狩令(1588年)。アの楽市令は商工業に関する信長の法令。イの分国法は戦国大名が領国に出したきまり、エの禁教令はキリスト教を禁じる法で内容が異なる。 |
| (2) | エ | 刀狩令・太閤検地はいずれも豊臣秀吉の政策。アの織田信長は楽市・楽座や関所の廃止を行ったが検地帳の整備には至っていない。イの徳川家康は江戸幕府、ウの足利義満は室町幕府の将軍で時代が違う。 |
| (3) | ア | 武器を取り上げて一揆を防ぎ、百姓を農業に専念させるのが目的。イは資料3に武具は大仏に使うとあり売却ではないので誤り。ウは逆に兵士にさせないための政策なので誤り。エは大名ではなく百姓が対象。 |
| (4) | ウ | 石高は予想される収穫量を米の量(石)で表したもの。アは面積そのもので収穫量ではない。イは人数、エは貨幣の額で、いずれも「米の量」という石高の定義に合わない。 |
| (5) | ア | 耕作者を直接登録したことで、貴族や寺社が土地から年貢を取る権利が否定され荘園が消滅した。イは逆の説明。ウは土地の売買は認められていないので誤り。エは年貢は引き続き納めたので誤り。 |
| (6) | イ | 武士と百姓を身分として分けたのが兵農分離。アの四民平等は明治のできごと。ウの下剋上は身分が入れかわる戦国の風潮で逆の動き、エの公地公民は律令国家の土地制度である。 |
| (7) | ア | 資料3の2行目に大仏のくぎやかすがいに使うとあるのでアが正しい。イは禁止の対象が「諸国の百姓」なので誤り。ウは「実際に耕作している百姓の名」を登録しているので誤り。エは「ものさしやますを統一した」とあるので誤り。 |
考3大航海時代の航路と年表2点×6=12点
| (1) | B | Bはヨーロッパからアフリカ大陸の西岸を南下し、南端を回ってインドへ向かう航路。Aは大西洋を西へ横断して西インド諸島に至る短い航路、Cは南アメリカ南端を回って太平洋を横断する航路で、いずれもアフリカ南端を通らない。 |
| (2) | ア | Cは南アメリカ南端から太平洋を横断してアジアへ達する航路で、マゼラン船隊の世界一周にあたる。イはBの航路の成果、ウはAの航路に関すること、エの日本来航は1543年の鉄砲伝来以降のことで、この3航路とは別である。 |
| (3) | A | Aはヨーロッパから大西洋をまっすぐ西へ横断し、西インド諸島に至る短い航路。Bはアフリカ西岸を南下して南端を回りインドへ向かう航路、Cは南アメリカ南端を回って太平洋を横断する航路で、どちらも大西洋を西へ横断するだけの航路ではない。 |
| (4) | ア | 新航路が開かれたあと、スペインなどがアメリカ大陸に進出して植民地を広げ、アステカ王国やインカ帝国などの先住民の文明がほろぼされた。イは移住の向きが逆、ウは征服した側とされた側が逆、エは実際に大規模な交流が始まったので誤り。 |
| (5) | ア | 当時アジアの香辛料はイスラム商人とイタリア商人を経由して高価だったため、直接手に入れる航路が求められた。イの移住先、ウの石油(当時は利用されていない)、エの軍事同盟はいずれも当時の動機ではない。 |
| (6) | イ | キリスト教の伝来は1549年で、鉄砲伝来の1543年より後の16世紀半ばなのでイが正しい。アは1543年>1517年なので誤り。ウは1590年より1543年が前なので誤り。エは1498年が15世紀、1543年が16世紀で異なるため誤り。 |
合 計 100点(50問×2点)
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落としやすいポイント
① 3人の航海者の区別…コロンブス=1492年・スペイン・大西洋を西へ・西インド諸島。バスコ・ダ・ガマ=1498年・ポルトガル・アフリカ南端回り・インド。マゼラン=1519年出発・船隊が世界一周。「年」「国」「到達地」の3点セットで覚える。
② ルターとザビエルを混同しない…ルターはプロテスタント側(改革する側)、ザビエル・ロヨラはカトリック側(イエズス会=改革に対抗する側)。立場が正反対である。
③ 信長と秀吉の政策の振り分け…信長=楽市・楽座、関所の廃止、比叡山焼き討ち、安土城、桶狭間・長篠の戦い(最期は本能寺の変)。秀吉=太閤検地、刀狩、バテレン追放令、朝鮮出兵、大阪城。どちらの政策かを必ずセットで覚える。
④ 刀狩と太閤検地はセットで兵農分離…刀狩=百姓から武器を取り上げる、太閤検地=耕作者を検地帳に登録する。この2つの結果として武士と百姓の身分が固定された。
⑤ 石高の定義…「面積」でも「税額」でもなく、予想される収穫量を米の量で表したもの。選択肢問題でよく入れかえられる。
⑥ 承久の乱→六波羅探題、元寇→北条時宗、御成敗式目→北条泰時…「できごと」と「人物・結果」を線で結んで整理しておくこと。北条氏の名前は似ているので要注意。
⑦ 年表・グラフの読み取り問題…「〜より前/後」「増加が最も大きいのは」と問われたら、必ず数値や年号を実際に引き算して確かめる。感覚で選ぶと確実に落とす。
⑧ 南蛮貿易の輸出入の向き…日本が輸出したのは銀・刀剣・海産物、輸入したのは生糸・絹織物・鉄砲・火薬。向きを逆にした選択肢が定番の誤答である。
解答一覧(採点用)
知技1 (1)ウ (2)ア (3)イ (4)イ (5)ア (6)イ (7)ウ (8)イ (9)ウ
知技2 (1)ア (2)イ (3)エ (4)ウ (5)イ (6)ア (7)ウ (8)ア (9)エ (10)ウ
知技3 (1)イ (2)ウ (3)エ (4)ア (5)イ (6)ウ (7)イ (8)イ (9)ウ (10)ア (11)ウ
考1 (1)イ (2)エ (3)ア (4)ウ (5)イ (6)ウ (7)ア
考2 (1)ウ (2)エ (3)ア (4)ウ (5)ア (6)イ (7)ア
考3 (1)B (2)ア (3)A (4)ア (5)ア (6)イ
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